サニアカ飼い主新聞
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【死を体験して思うこと】
〜あなたは死を体験します〜
2020年11月13日
今日もオンラインサロンで行われている飼い主さんたちの結果報告をゆっくり見ています。
本当に「治療の主役は飼い主」ですね。
飼い主さんからの記事は毎日毎日投稿されるので、本当に励みになる。
ひとつひとつの投稿がみんなの気づきになる。幸せ。。。
今日はR・Kさんの、
【死を体験して思うこと】
〜あなたは死を体験します〜
今日は「ペットの死」のおはなし
を共有しようと思います。
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・・・R・Kさん・・・
【死を体験して思うこと】
〜あなたは死を体験します〜
▼ 家族の死 ▼
投稿した次の早朝、マアムは息を引き取りました。
コメントをくださった皆さんありがとうございました。
ヤバいと気づいて、自分、家族、周りの人達、マアムと向き合ってたった1週間でした。
マアムがそんなに早くに死ぬなんてこと全く想像できていなかった。
いっぱい言われていたのにそんなはずないって思い込んでいた。
今まで数々の動物たちの死を見てきたにもかかわらず、マアムは死なないと思っていた。
いつも食欲旺盛で、散歩が大好きで、みんなに優しくて、撫でて〜ってお腹を見せて、やめたら手でもっとーって催促して…。
そんな可愛くて元気なマアムしか私には見えてなかった。
癌が見つかってあなたには荒療治しかないと言われ、
サニー先生に無理やりやらされた1週間。
自分が全く見えていなかった幸せに気付けた1週間だった。
でもマアムは死んだ。マアムが死んだ瞬間に全てが崩れた。
結果が全てに思えた。
何に気付こうが今がどうなろうが結局マアムは死んだ。
▼ 現実逃避 ▼
マアムは我が家に来なければもっと幸せだったんじゃないか?
1年半前にトムを引き取らなければマアムは死ななかっんたんじゃないか?
その時にサニー先生のところに行かなければ死ななかっんじゃないか?
自分と向き合うなんて私には無理だったんじゃないか?
サニー先生の言う根本治療に向いていない人に私は当てはまるんじゃないか?
飼い主合宿行かなければこんなに早く死ななかっんじゃないか?
マアムを殺した自分から逃げたい気持ちでいっぱいいっぱいになって、全て他人のせいにする無茶苦茶な思考で頭がいっぱいになった。
あの時のサニー先生や家族やマアムとのやり取りが全て無意味に思えてしまった。
マアムを殺したなにも出来ない無意味な自分だけがそこに残った。
もうすぐ1週間が経ちます。
職場ではただ笑顔で楽しく過ごせる自分がいて、
それが心地好くて、それだけに逃げたくなった。
でも帰ってくるとマアムを殺した自分に向き合わなければならない。
逃げても逃げてもいつかは向き合わなければならない。
いくらないことにしようとしても、マアムが死んだと言う事実がここにある。
マアムを殺した自分がイヤでイヤで大嫌いになって、でも嫌いになるということはそこに向き合わないでいられるという逃げでしかなくて…。
今逃げてしまえば、一生表と裏の顔が違う嘘を突き通す人間のままになる。
▼ 現実に立ち向かう ▼
マアムを殺したのに幸せになりたいなんて許されないって思っちゃったけれど…。
私はマアムを殺したけれど、それをちゃんと抱きしめたまま、この後もずっと生きて、そして幸せを目指しても良いのかな?って少し考え始めてます。
最後の1週間で教えられたことは、幸せに気づくってことだったんだから。今まで誰かの言った正解を探して、それを大事にしてきたけれど、自分の感覚を見つめて、自分の心に素直にしたがって動いて見ようと思います。
誰かが言った体に良い物ではなく、本当に体や心が美味しいと感じるものを食べようと思います。誰かが言った体に良い事じゃなくて、本当に心から気持ち良いと思うことをしていこうと思います。
自分の感覚を最優先させる。
自分に嘘をつかない。
人と本気で向き合う。
これを意識しながら、生きていきたいと思います。
マアム、今までありがとう。最後の最後まで生きようと頑張ってくれてありがとう。
そして、今まで投稿にはほとんど登場していない、我が家に来た時から我が道を行く17歳(たぶん)のトムがいます。
「この子は強いね」と最初にサニー先生に言って貰えたトムを病気にしないようにしっかり向き合って行きたいと思います。
まだまだ頭の中がぐちゃぐちゃで、スッキリしていない文章になってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。
みなさん、色んなことを乗り越えて今がある。そんなみなさんにこれからもいろいろ教えて貰えたら嬉しいです。
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▼ サニー校長からのメッセージ ▼
死とはなんでしょうか。
飼い主と動物が一緒にいることで得られるものは何でしょうか?
死を迎えてはいけないものなのでしょうか?
死を迎えてようやく手に入れるものもあるのではないでしょうか?
死とは、、、
家族とは、、、
幸せとは、、、
そういったことに向き合う機会は一生に何度もありません。
その機会をどう活かすか。
生きている人間はそれしか考えることができません。
とても大切な記事をありがとうございます。