サニアカ飼い主新聞

【獣医師がカッコ良く輝く世界】
〜あなたはなにがしたい?〜

2020年10月3日

今日もオンラインサロンで行われている飼い主さんたちの結果報告をゆっくり見ています。
本当に「治療の主役は飼い主」ですね。
飼い主さんからの記事は毎日毎日投稿されるので、本当に励みになる。
ひとつひとつの投稿がみんなの気づきになる。幸せ。。。

今日はサニアカ生である「中島直彦獣医師」の文章を共有したいと思います。
【獣医師がカッコ良く輝く世界】
〜あなたはなにがしたい?〜
を共有しようと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・・・中島直彦 獣医師・・・

【獣医師がカッコ良く輝く世界】
〜あなたはなにがしたい?〜

▼ 中島直彦の自問自答 ▼
なぜ、獣医をやっているのか?
ペットの病気を治すため、ペットが健康で長生きできるように、獣医師になった。
でも、目の前には治らない、治せない動物が山のようにいる。

ずいぶん前に、自分は目の前の動物を治せないことに気づいていた。でもそれは、自分の知識、技術のなさだと思っていた。学校で習った知識以外のこと、鍼灸、ホメオパシー、ハンドヒーリングなどいろいろとかじった。専門医と称する獣医師(厳密には、日本では現在のところ専門委制度はありません。)のセミナーを受けたりしたが、自分の治療結果に満足のいくことはなかった。

慢性皮膚疾患、甲状腺機能低下、心臓疾患、クッシング症候群、糖尿病、がん。
治せないでいる。飼い主にいかに不満を持たれないような処置をしていくか悩む、一か月分、二か月分とどんどんと薬を出す期間が長くなり、動物、飼い主の顔を見たくなくなる。でも、病院を構え、スタッフを雇っている以上、収入は必要。

他の病院から流れてくる飼い主は何か前よりはよくなるのではないと期待を持っている。

「厳しいよな。他の病院でも治せていないのに・・・」

でも、少しでも好印象を持たれるように振る舞う。

これまでの病院の処置に対して、新たな切り口を探す。治せないのに。

なぜ、獣医師になったのだろう?動物が本当に好きなのか?今の仕事は本当にやりたいことなのか?

▼ 中島直彦の過去 ▼
私には子供のころの親、兄との記憶がほとんどない。
家族団らんの記憶がない。一番小さいころと思われる記憶は「やいと」といってお灸をすえに連れて行かれたこと。

母親にとってそれほど耐えれない子供だったのか。今から思うと鍼灸院に連れていかれて、押さえつけられてお灸をされたのだと思う。必死に抵抗し泣きまくった記憶がかすかにある。その後何年も、その鍼灸院に通じる道を通るのが怖かった。当時、関西では一般的に子供が悪さをしたら「やいとすえるで」と言われることがあったが。

動物を飼ってはいたが、知らない間にいなくなっていた。そんな家だった。

まだ小学校に入る前、エスと言うスッピツがいたような記憶がある。そのエスが子供を産んだ。でも、親はそれを隠した。見せてくれなかった。そして、すぐにその子たちはいなくなった。
そしてエスもいなくなった。

小学校の5年のころ、祖父の家から猫をもらった。
私が母に頼み込んでもらってもらった。
でもその猫も、私に何の話もなく当然いなくなった。

父親は動物嫌いだった。

唯一、私がお墓を作ることができた動物は、フクロウだった。小学校2年生くらい位の時か、兄が飛べなくなったフクロウを山で拾ってきた。
おそらく羽根が折れていたんだろう。父が小屋を作り、飼うことになった。

2年くらい生きてたのか。よく砂肝をやっていた。
なくなった時、とても悲しかった。
自分で穴を掘って埋めて、石をおいてお墓を作った。花瓶に花を入れた。

お墓を作った場所は我が家の敷地ではなかった。
何か月かして、そこにブルトーザーが入ってきた。
そして、フクロウのお墓がブルトーザーに壊されてしまった。悔しくて悔しくて泣いた。ブルトーザーの作業員を殺したいと思った。

「動物がいると出かけられないから。」母はよく言った。家の前の畑に、野菜を洗ったりする小さな池のような水をためている場所があった。
そこに、イモリやカエル、ザリガニがいた。よくそこで一人でいた。
動物に対する記憶、経験はその程度しかない。

小学校6年生の夏休み、母に市営の図書館に連れて行かれ、読書を勧められた。その時に目に留まった本が「ムツゴロウのどんべい物語2」だった。まだその頃、ムツゴロウさんのシリーズ物のテレビ番組はまだやってなく、私は、本でムツゴロウさんを知った。それから、図書館にあるムツゴロウさんの本を全部読んだ。中学校以降は、飼った動物は金魚くらい。

夏の夜に窓に張り付くヤモリを見ていた。その程度の動物の飼育経験と記憶で、獣医師になっている。

▼ 中島直彦の現実 ▼
治せていない。これが現実。これがすべて。
本当に治したいと思っているのか?⇒治したいに決まっている。⇒根本治療をしたいのか⇒したいに決まっている⇒本当にそう思っているのか⇒???

どうしても病院に来る動物のこと、飼い主のことに目線が行ってしまう。
自分がまだまだ他人のことをとやかく出来る力はない・・・。
自分の動物を治すことができていない・・・。
その思いが頭に過ぎる。

獣医師という国家資格はありがたい。
獣医師免許を持っていれば、何とか仕事につくことはできる。
私もその一人。

動物の根本治療が出来なくても、お金をそれなりに稼ぐことは現状として可能だ。獣医は隠れ蓑。生活の手段。そう思いたくない自分がいる。

サニーズアニマルクリニック の診察で、
サニー校長に「あなたの幸せはなんですか?」と聞かれた。

即答できなかった。
「ペットを治して飼い主をしあわせにすること」って言ったように思う。

サニー校長は「そんなことないしょ」と言って笑った。
でも、腹が立たなかったように思う。

▼ 人としての中島直彦 ▼
獣医師の肩書は、今の私を鎧のように守ってくれている。
今のまま生活を続けていくならこんなにありがたいことはない。

でも、サニー校長と出会って、根本治療を知り、鎧が邪魔になっていることに気づかされた。そして、最終的には根本治療が伝えられる人になりたいと思う。

今の幸せは「孫との思い出を作ること」せめて孫が成人になるまではかっこよく生きていたい。「じじ、ばばはかっこよかったな」と言われたい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

▼ サニー校長からのメッセージ ▼
同じ獣医師という立場で共感し、感動しました。

中島先生、もうすでに中島先生は多くの患者さんを救っている。
この文章がまさにそうだから。

中島先生の生き方を見て、多くの人が何かを思うのでしょう。
その人たちが「何を見るか」はわからない。
でも、「自分が自分をどう見えるか」には嘘はつけない。

僕と中島先生の目的は一緒です。
これからの未来に、子どもたちに、何よりも自分自身に
「カッコ良いだろ」と胸を張っていきたい。
そして誰に負い目もなく背中を見せたい。

悩む姿も、やりすぎる姿も、もがき苦しむ姿も、全てその瞬間に素直にいたい。うざいくらいに。

その姿が嘘ではないと思うから。
その姿が僕はかっこいいと思うから。

中島先生は、サニーズアニマルクリニック にきた最初の獣医さんです。
この世界の獣医業界の変化やサニー校長の根本治療に一番最初に反応できた獣医さんです。
その感覚に、その感覚が作られてた今までに感謝ですね。

これからもよろしくお願いいたします。